アレキサンダーファン
2017年01月掲載
プロフィール
林 育宏(はやし・いくひろ) 林 育宏
(はやし・いくひろ)

13歳よりホルンを始める。武蔵野音楽大学卒業。ホルンをミヒャエル・ヘルツェル、伊藤泰世の両氏に、室内楽をカールマン・ベルケシュ、田中正大の両氏に師事。大学在学中より、国内外のオーケストラへの客演、室内楽、ミュージカル、ソロ等様々な音楽シーンで演奏活動を展開する。また、後進の指導育成にも意欲的に取り組み、全国各地での講習会やコンクール等の審査員としても活動する。現在、シエナ・ウインド ・オーケストラの他、「アンサンブル ヴィータ」等のホルン奏者としてもライブ活動やレコーディングを行なっている。ミュージックスクール「ダ・カーポ」講師。


使用楽器:
アレキサンダー 301MBLLW、103MBLHG
使用マウスピース:
ティルツ マックウィリアム2W

第51回 プレーヤーズ
林 育宏 インタビュー

国内外のホルンプレーヤーにスポットを当て、インタビューや対談を掲載するコーナー。
ホルンについてはもちろん、趣味や休日の過ごし方など、
普段知ることの無いプレーヤーの私生活についてもお伝えします。



─ホルンを始めたのは?

 中学校の吹奏楽部で始めたのですが、たまたま幼馴染だった先輩がホルンをやっていたので、勧められてホルンになりました。ホルンはすぐ好きになりましたが、当時は静岡に住んでいたのですが情報も少なく、「上手なホルン」がどういうものか全然知らず、ただ楽しく吹いていました。ホルンが好きというより、吹奏楽が好きだったんですね。


─誰かのCDを聴いたりとかは?

 何しろ、何を買えばいいのかもわかりませんでした。高校に行ってから初めてホルンのCDを買ったのがベルリン・フィルの(ゲルト)ザイフェルトが吹いているモーツァルトのホルン協奏曲集でしたが、それも、たまたま店にあったものだったのです(笑)。


─高校でもやはり吹奏楽を?

 高校に入るときに東京に戻ったのですが、どういう高校があるのかわからなかったので、『バンドジャーナル』を見て吹奏楽コンクールの全国大会に出ている高校に行こうと。「どうせやるなら少しでもレベルの高いところに行きたい」と選んだのが関東第一高校で、もう朝から晩まで部活をやっていました。


─いわゆる「燃え尽き症候群」にはならなかったんですね。

 大きく分かれましたね。同学年や先輩、後輩にも音大に進学した人はたくさんいますし、今もアマチュアで楽器を続けている人もいますが、きっぱりとやめてしまった人もいました。僕の場合は、1年生の頃から音楽大学に進学したいと思っていたので。「やるなら、どこまでもやろう」と思っていました。


─ということは、音大受験の準備もしつつ、部活も一生懸命やるという。

 そうですね。高校1年生の終わりくらいからソルフェージュのレッスンにも通い始め、ホルンは先輩に武蔵野音大に行った方がいたので、その紹介で伊藤泰世先生に習うことになっていたのですが、ちょうどそのタイミングで先生が入院してしまいまして。結局2年生の終わり頃からレッスンを受けることになりました。「自分も先輩のようになりたい」という気持ちがあったので、「武蔵野音大に行って、伊藤先生に習いたい」ということだけ考えて、他の音大は受けませんでした。
 実は東京藝大も気になって伊藤先生に相談してみたのですが、「おまえが受かるわけないだろう!」と一蹴されました(笑)。


林 育宏


「音質と音色は違う」

─伊藤先生のレッスンはいかがでしたか。

 厳しかったですね。高校生で最初にレッスンに行ったとき、「正直言って才能はないと思う」とはっきり言われました。「もし続けるんだったらそうとう努力しないといけない。それでもやるつもりがあるのなら、また電話して」と言われて帰ったのですが、家に着いたらすでに先生から親に電話が来ていて、同じことを言われたと(笑)。でもそこで「あきらめよう」という選択肢は僕の中にはありませんでした。だから高校生のときからレッスンは厳しかったです。


林 育宏

─ということは、高校時代の林さんのやる気を認めて、伊藤先生も本気のレッスンをしてくれたんですね。
 たぶん、本当に下手だったんだと思います(笑)。高校生のときも、レッスンの内容が「大学に入るため」ではなかったんですよ。根本的にホルンが上手になるためのレッスンでした。とにかく基礎からやり直しでしたね。レッスンに行くと最初にスケールを2オクターブ吹かされました。一番多かったのはD durだったと思います。それからコープラッシュなどのエチュードをやるのですが、何しろ世界のいろいろなことにアンテナを張っている先生でしたので、そのときどきで「こういうものを身に付けておいた方がいい」と言われました。
 一番覚えているのは、「音質と音色は違う」ということです。「音質」というのはそれぞれが持っているものだから、それを磨いていくしかない。でも「音色」は曲の場面場面で使い分けなければならない。そのためにはタンギングのニュアンスもたくさんの種類を持っていなければならない。とにかくいろいろなものを聴いて、イメージすることが大事と言われていました。伊藤先生は東京都交響楽団にいたので、都響はよく聴きに行っていました。


─では大学に入ってからは?

 厳しいことに変わりはなかったです。もちろん内容は高校生のときとは違いますが、とにかくよく怒られていました(笑)。試験の少し前にレッスンを受けたとき調子が悪かったのですが、先生に「どうした?」と聞かれて「調子が良くなくて」と言ったらすごく怒られました。「おまえは調子が良かったら上手いのか!」と。
 確かに、コンディションは大切ですが、それを理由にしてはいけないんだなと。先生はプロだったので、コンディションがどうあれ人前に出たら全力で演奏しないといけない。なのに学生だった僕が甘えたことを言っていたので怒ったのでしょうね。すごい怒鳴られましたから。
 でも、今もそのことを肝に銘じているところはあります。コンディションを整えなければならないというのは前提であって、それを理由にしてはいけないのだと。


─ではコンディションが良くないときはどうしていますか。

 まず、深く考えないこと。「どうして調子が悪いのか」は分析する必要がありますが、結局答えが見つからないことも多いんですよ。気のせいということもあります。自分で「おかしいな」と思って、隣の人に「音が変じゃない?」と尋ねても「いや、普段通りですよ」と言われることもあるので、その程度のことなんです。つまり伊藤先生が言いたかったのは、調子が良くても悪くても、それほど変わるものではない、ということだと思うんです。だから、あまり気にしないようにしています。「まあ、こんなもんなんだろう」と(笑)。


─やはり偉大な先生だったんですね。

 僕が大学4年生のときに、翌年の世界ホルンフェスティバルのためのプレフェスティバルが山形で開催されたのですが、その準備を間近で見て、「どうしてこれほど一生懸命できるんだろう」と思いました。


林 育宏

─翌1995年には世界ホルンフェスティバルinやまがたが開催されるわけですね。
 大学を出た年に、あのホルンフェスティバルを経験できたということは、自分にとって大きなことでした。世界のホルニストの演奏を間近で聴くことができて、「絶対にこんなふうにはなれない」とめげることもありましたが、励みにもなりました。バボラークを初めて聴いたのもそのときでした。当時まだ20歳前でしたが、ウェーバーの《コンチェルティーノ》やシューマンの《コンツェルトシュトゥック》の1番を吹くのを聴いて、「これはすごい」と。フランク・ロイドの演奏も衝撃的でしたね。



ひとつの物を作るためにみんなが同じ方向を向いている

─大学を卒業してからはどんな活動を?

 オーディションを受けてもなかなか受からず、フリーランスとして活動していました。「とにかく10年間はどんなことがあっても(ホルンを)続けよう」と決めていたんです。その間に、コンクールでタイトルを取るとか、オーディションに受からなければやめようと思っていました。大学を卒業して10年後というと33歳ですが、シエナ・ウインド・オーケストラに入ったのが2004年、32歳のときでした。


─ぎりぎりでしたね。

 それまでシエナのオーディションも2回受けてはいたのですが、おかげでエキストラに呼んでいただく機会もあり、自分の中でも「ここでやりたいな」と思っていました。シエナは僕が高校生のときにできたのですが、ソルフェージュのレッスンで通っていた教室に、旗揚げ公演のポスターが貼ってあったのを覚えています。


─具体的にどんなところに魅力を感じましたか。

 エキストラに行ったときに、ひとつの物を作るためにみんなが同じ方向を向いているように感じたんですよ。実際に入ってみてからも、すごくサポートをしてくれる感じがあります。上手くいかなかったから非難するようなことはあまりなく、「次はもっとこうしよう」というように、仲間意識の強さを感じますね。


林 育宏

─中学生・高校生を指導する機会も多いと思いますが、何か感じることはありますか。
 もちろん地域や学校によっても違うのですが、基本的にはあまりガツガツしていないですよね。僕の頃と違って、受け身でも情報がどんどん入って来るからなんだと思います。音大を目指して僕のところにレッスンに来る子も、言われたことしかやってこない。そしていろいろなことを深く掘り下げない。例えばモーツァルトのコンチェルトでも、たくさんの録音があるのに、ただ「YouTubeで聴きました」と。「誰の演奏を聴いたの?」と尋ねても「わかりません」と言うんです。
 楽器に関してもそうで、「マウスピース何使っている?」と聞いてもわからないことがある。やはり良い演奏をするには良い道具を使うことが大事なので、それほどマニアックになる必要はありませんが、少なくとも自分がどういうものを使っているくらいは知っていてもいいと思います。
 僕は、中学生の頃はいつも楽器のカタログをながめていましたからね。当時ヤマハの総合カタログにアレキサンダーの楽器も載っていて、「いつかこういう楽器を吹いてみたいな」と思っていたのですが、高校に入ってみたら学校の楽器が全部アレキサンダーでした!



僕にとってはアレキサンダー103が “普通”

─自分の楽器としては?

 音大に行くと決めたときに、親に中古の103を買ってもらい、大学3年生までその楽器を使っていました。そうやってかなり早い段階からアレキサンダーを使っていたので、改めて「アレキサンダーのどこが良いのか」と聞かれても、よくわからないんです。
 ずっと使っているので慣れているし、吹きやすい。他のメーカーの楽器も使うことがありますが、「困ったときはアレキサンダー」なんですよ(笑)。「こういうときはこうなる」というのがわかっているので。僕にとっては103が “普通”なんですね。アレキサンダーの103を基準に考えて、「こういう音が欲しい」というときに別の楽器を使うというやり方です。
 だから、生徒にアレキサンダーを薦めるときも「ここが素晴らしい」ということがあまり言えなくて、代わりに「きちんと練習すれば、少なくとも僕くらいの音は出せるから」と言っています。


─今お使いの103は?

 3本目の103で、前の楽器は20年使っていたので、良い中古を見つけて購入しました。それがハンドハンマーだったのですが、それほどがんばらなくてもきちんと音が聴こえてくるという印象で大変気に入っています。


─新たに301MBLLWを購入されたということですが。

 衝動買いです(笑)。もともと、301が出たときにすごく興味がありました。普段103を使っていますから、それをベースにして作られたというトリプルホルンはどんなものなんだろうと思っていたのですが、あまりの重さに断念しました。そして去年(2016年)3月にライウェイトモデル(LW)が出たと聞いて、その時点で「多分買うんだろうな」と思い(笑)、実際に吹かせてもらって、すぐ買ってしまいました。


─やはり軽いですか?

 持ったときびっくりしました。もちろん103よりは重いですが、前の301に比べたら衝撃的に軽いですよ。数字を聞いてみると、103がだいたい2500gで301LWが3000g、以前の301が3500gくらいなので、持ったときに感じる重さはそうとうな差になります。


─吹いた感じはいかがですか。

 ほぼ、103と同じように吹けます。マウスパイプの形状が違うので抵抗感は違いますが、違和感はありません。103を吹いていてトリプルが欲しいという人にはすごくいいと思います。103を吹いている感覚でHigh F管が使えるというのは大きいですね。


林 育宏

─High F管は主にどんなときに使いますか?

 高域の安全性を高めるというのが一般的ですが、中〜低音域でも明るい音色が欲しいときに使います。《展覧会の絵》のプロムナードのソロなどは、ほとんどHigh F管で吹いてしまいます。あれは上吹きにとっては嫌な音域なのですが、High F管を使うと途中で別の倍音に引っかかるようなことがないんです。高い音を吹くためだけでなく、そういう使い勝手の良さはありますね。何でみんなもっと使わないのかなと思います。


─High F管を使うときのコツのようなものはありますか。

 なるべく長い管になるように運指を工夫しています。例えば上のE♭は23、Eは12、Fは1で取るようにしています。その方が音程も安定するし、音色も良いように思いますね。あと、「High F管を使うと高い音が出やすい」と勘違いしている人もいますが、「当たりやすい」というだけで、かえってきついくらいです。だからHigh F管を使うところも、まずB♭管で練習するようにしています。逆に、中音域より下の音をHigh F管で吹くときにも、その感覚を身に付けるための練習が必要だと思います。


林 育宏


いろいろな音楽を聴いて知っておくということが大切

─ところで、ホルンを吹くときに一番気を付けていることは何ですか。

 やはり、音ですね。伊藤先生に「音質と音色は違う」と言われたという話をしましたが、音色に関しては作品の場面場面に合わせていろいろなものをチョイスしていく方がいいと思いますが、音質に関しては、まだ自分でも答えが出ていません。でも、基本的には自分の音が好きなので(笑)、今後どう変わっていくかが自分でも楽しみです。


─では音色に関しては、どうやって幅を広げていけばいいでしょうか。

 よくカレーの話をするのですが、材料を渡されて「カレーを作って」と言われたら上手下手はともかく、作れるじゃないですか。それはカレーというものを知っているからなんです。でも食べたことのない料理は作れませんよね。それと同じで、いろいろな音楽を聴いて知っておくということは大切です。
 特に吹奏楽はクラシックだけじゃないですよね。ポップスとかラテンとか、ジャズっぽいものとか、いろいろな音楽を演奏する必要がありますが、楽譜を追っただけでは格好がつかないんです。もちろん本物のジャズの世界は僕にはわからないので真似事にはなってしまいますが、ジャズを聴いたことがなければ真似さえできないですから。
 具体的にはクラシックとジャズで同じアーティキュレーションが書いてあっても、扱いが全然違うんですよ。アクセントの意味合いも全く違う。そういうことも知らないとできないと思います。音色に関しても、それぞれの音楽に合わせて自然に変化するものですから、やはりイメージがないとできません。違う音楽なのに、奏法が全部同じだったら変ですからね。シエナで吹くときにも、そこは考えるようにしています。


林 育宏

─しかも、シエナは全国の吹奏楽をやっている若い人のお手本にもなる存在ですよね。
 ニューサウンズ・イン・ブラスのCDを、2016年は初めてシエナ・ウインド・オーケストラが演奏したのですが、中学生の頃から聴いているものじゃないですか。まさか自分が演奏する側になるとは思ってもいなかったのですが、それを聴く中学生・高校生がたくさんいると思うと、いろいろ考えさせられました。表現などをなるべく本物に近づけるように工夫したり、書いてあるアーティキュレーションも、忠実“以上”にやったりとか。誇張して「ここはこういうふうにやるべき」ということを出すようにしました。「聴いて真似してくれれば雰囲気が出るくらいのレベルにはしたい」と思ってね。




「趣味」のコーナー

─みなさんに趣味について尋ねているのですが……。

 趣味がないんですよ。というか、もともと趣味だったものが仕事になっているので。もちろん楽しいだけではやっていけませんが、すごく贅沢な仕事をしているなとは思います。


─では今後やってみたいこととかあれば。

 将来、もしできればバイクで日本一周してみたいですね。多分無理でしょうけれど。


─バイクはお好きなんですか?

 好きというよりも、通勤用です(笑)。中型のバイクに、楽器を背負って乗っていきます。都内は渋滞が多いため車よりバイクの方が速くて、自宅からシエナの本拠地である文京シビックホールまで、電車だと30分のところを、バイクだと15分で行ってしまいます。


林 育宏

─でもやはりホルンを吹くことが一番なんですね。
 好きじゃなければ、商売道具とはいえ、これだけ高い楽器を買えませんよ(笑)。「楽器を替えたらもっと上手に吹けるようになるんじゃないか」と思って買っているわけですから、決して高いとは思いません!



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