アレキサンダーファン
2010年05月掲載
プロフィール
島方晴康(しまかた・はるやす) 島方晴康
(しまかた・はるやす)

国立音大にてホルンを千葉馨、大阪泰久、両氏に師事。グラーツ音大にてホルンをG・ヘーグナー氏に師事。テアター・アン・デア・ウィーン管弦楽団首席奏者を経て、現在、札幌交響楽団ホルン奏者。札幌大谷大学、北翔大学、各非常勤講師。
使用楽器:アレキサンダー 103誕生100周年記念復刻モデル

第32回 プレーヤーズ
島方晴康 インタビュー

国内外のホルンプレーヤーにスポットを当て、インタビューや対談を掲載するコーナー。
ホルンについてはもちろん、趣味や休日の過ごし方など、
普段知ることの無いプレーヤーの私生活についてもお伝えします。


中学3年生のときにプロを目指す

─ホルンを吹き始めたのは?

 中学校の吹奏楽部です。もともとテニス部に入るつもりだったのに、最初に友達になったやつが吹奏楽部に入っていて、「練習を見に来ない?」と言われたのが運の尽き(笑)。ドアを開けたらそこにホルンの先輩が2人立っていて「君の顔はホルンに向いている」と言われてそのままホルンを吹くことになりました。
 小さい頃からピアノをやっていたので、吹奏楽部が嫌だということはなかったのですが、ホルンという楽器はまるで知りませんでしたね。でも最初から音が出て、ちょっと練習したらペダルトーンまで出るようになってしまって、先輩から「何だおまえは?」と言われていました。
 コンクールで優秀な成績を取るような学校ではなかったのですが、先生が「本物に触れなければいけない」という考えで、NHK交響楽団――その前身の新交響楽団時代からの名物ティンパニー奏者だった小森宗太郎先生という方が毎週教えに来てくださっていました。その方がまた怖くて厳しくて(笑)。リズムのこととか絶対に妥協しなくて、怒鳴って帰るというのがいつもでした。
 そんなに厳しくすることがあるのなら、自分も勉強してもいいかなと思い始めたのが中学3年生くらいのときでした。すごく奥が深いなと感じたんですね。当時小森先生がお亡くなりになって、その後に野崎先生という、やはりNHK交響楽団でトランペットを吹いていた方が教えに来てくれたのですが、「というのはこう吹くんだ」と吹いたときに、上手いと思っていた高校生の先輩が、足元にも及ばないことがわかりました。やはりプロは凄いなと。そこで中学卒業前に音大を目指したいということを先生に伝えて、高校3年間で受験の準備をしました。


島方晴康

─大学時代は、どんな学生でしたか。

 朝早くから、学校が閉まるまでは意地でもいようと思って、ひたすら練習していました。自分としては、音大に入る=プロになるという意識でしたから。


─ソリストになるということは考えませんでしたか。
島方晴康

 考えませんでしたね。ホルンはやはりアンサンブルの楽器だと思っていますので。もともと僕がホルンを楽しいなと思った原点は、中学校のときに先輩と一緒にやったホルンアンサンブルで、「なんでこんなにきれいにハモるんだろう」と思ったことですから。「こんなにハモって楽しいのなら、この楽器は良いなあ」と思いましたね。
 だから、大学時代もホルンアンサンブルは四六時中やっていました。自分の練習を終えて研究室に戻ると、「待ってました」とばかりにOBの先輩方につかまって。しかも全パートを回すので、1年生だろうがどんなパートでも吹かされるので、だいぶ初見の力が鍛えられましたね。恥もかきましたし。「こんなのが吹けないの?」とか言われて。
 今から思えば、人の音とか演奏を瞬時に聴き分けて、そこにすっと入っていく感覚は、ホルンアンサンブルで鍛えられました。大学の授業なんかよりもよほど緊張して吹いていましたから。




オーストリアに留学し、ウィーン国立歌劇場で“修行”

─オーストリアのグラーツに留学されたというのは?

 学生時代にいろいろなオーケストラを聴きましたが、自分の出したい音はどういう音だろうと考えると、みんな「上手いんだけど違うなあ」とずっと思っていました。最終的にはウィーンフィルなんだろうな、とは感じていましたが、楽器も違うし難しいだろうとも思っていました。
 ウィーンフィルを初めて生で聴いたのが大学1年生のとき。ベームの指揮で、(ウォルフガング)トムベックが1番を吹いていました。その時は、彼がボロボロだったのですが、1983年、大学4年生のときにマゼールの指揮で、彼の吹くマーラーの5番を聴いたら本当に素晴らしくて、聴いている間中ずっと背中に電気が走っているような状態でした。
 それで、師匠の千葉馨先生に「ウィーンに行きたい」と言ったら、「ダメ」って言われてね。「あそこは年を取ってから行くところで、学ぶところではない」と。そのときは一度あきらめたのですが、その後もどんどん想いがつのって、数年後にまた「(ギュンター)ヘーグナー先生が大学教授になったから、彼のところに行ってみたい」と言ったら、「どんな教え方をするか知らないけれど、人間はすごく良いから、行って来い」と言って下さって。


島方晴康

─それで、留学を決めたのですね。

 1987年の6月にヘーグナー先生が来日したときに聴いてもらったら、いきなり「8月に来い。そうしないと見ない」と言われました。その通り8月30日にウィーンに着いて電話したら、9月1日に黒服を持ってシュターツオーパー(ウィーン国立歌劇場)に来いと。どうするのかなと思ったら、なんとピットの中、ヘーグナー先生の真後ろで聴かされたんです。ステージ上のドミンゴがずっと「こいつは誰だ」って感じで、歌いながらずっと見ていたのを覚えています(笑)。
 グラーツの大学には入ったのですが、その後もウィーンの国立歌劇場でレッスンしてもらい、彼の演奏を聴くという生活を3年間続けていました。同じ演目の間、少なくとも1回は真後ろで、1回は客席の上の方で聴くんですね。そうすると、「あれぐらい吹くと、こういうふうに聞こえるんだ」という勉強ができるんです。ずっとシュターツオーパーで修行していたという感じです。


─そこで一番印象深かったのはどんなことですか。

 後ろにいるとベルの中で右手が何をしているのかがよく見えるので、それがものすごく勉強になりましたね。ウィンナホルンは音程なんてあってないような楽器なので、右手の出し入れが「そこまでやるか」というくらい凄まじいんです。じっとしているときがないくらい。彼らは、ナチュラルホルンにバルブが付いているくらいの感覚なんだと思います。


─向こうでは、普段からウィンナホルンを吹いていたのですか。

 いいえ。ウィンナホルンは教えてくれませんでした。「ウィンナホルンを吹いても、仕事をするところがないだろう」と言われて。でもずっと吹きたいと言い続けたら、楽器を貸してくれて。その楽器が、モーツァルトのコンチェルトを録音したヤマハの楽器だったんです。それから、家でロングトーンなどするときはそのウィンナホルンを使っていました。


─通常のダブルホルンとの両立は難しくないですか。

 僕の中では、ウィンナホルンのような響きとか音色の良さみたいなものが、ダブルホルンを吹いたときに少しでも出せたらいいなという意識があったので、別のものとは思いませんでしたね。


島方晴康

─1990年に帰国してから札幌交響楽団(札響)に入るまで、ほとんど間がないですよね。

 バーンスタインによるPMFという音楽祭の第1回目に声をかけてもらい、参加することになりました。そのときに札響にいた同級生の紹介でエキストラに行くようになり、約1ヶ月後にお誘いを受けて、オーディションを経てそのまま入団しました。
 僕は東京出身ですが、オーストリアから帰ってきてから、東京にはほとんどいませんでしたね(笑)。


─今はどういうポジションを吹かれているのですか。

 副首席ということでずっと1番と3番を吹いていたのですが、4月から3番オンリーになりました。


島方晴康



100周年記念復刻モデルと“運命の出会い”

─さて、お使いの楽器についてうかがいますが、アレキサンダー使用歴は長いのですか。

 大学3年生くらいのときに先輩に譲ってもらったアレキサンダー103が最初です。以来、103は3台使っています。


─アレキサンダー103の魅力はどんなところにあるのでしょうか。

 まず、いろいろな音色感が出せるということ。楽器に頼ってしまうのではなく、自分が楽器をコントロールする必要があるのですが、自分のやりたいことと楽器の個性をぶつけて、何が出てくるかという足し算をしていくことが面白いと思っています。特に30年くらい前の楽器にはそういう傾向が強かった。
 それが10年経ち、20年経つうちにだんだん打率が上がるというのでしょうか、楽器のクオリティが上がって吹きやすくなった反面、昔に比べると楽器の個性が少し薄れたようにも感じていました。

島方晴康

─そこで、100周年記念復刻モデルですか。完全ハンドメイドで、103の当初の姿を再現したという限定25台というレアな楽器ですよね。

 非常に、個性的です(笑)。


─まずこれに決めたのはどういう理由ですか。

 勘です。もともとノーラッカーでワンピースの103が好きだったということもあります。でも、何よりフォルムがあまりに美しくて、まずその美人さに惚れました。管のカーブからしてきれいなんですよ。人間の手工芸の極みみたいな微妙な曲線が本当に美しい。あとはロータリーキャップの彫刻はいつ見てもいいですね。
 ただし、「きれいな花には棘がある」という言葉通り、驚くほど個性的です。音程の感覚なども頑として言うことを聞かないので、こちらが考えを変える必要もあります。表現としてはよりナチュラルホルンに近いというのでしょうか。倍音の関係がものすごく素直で、例えば第3音の「ミ」などものの見事に低いですから。
 そういう頑固な部分を「あなたはどうしたいの?」と楽器と話しながら吹いていかなければならないんです。


島方晴康

─でも、他の楽器に替えようとは思わないですか。

 まったく思わないですね。他の楽器より良いとか悪いとか、そんなことはどうでもいいんです。「君が僕と出会ったのは運命なんだ」と思っていますから。あとは「自分の技量と君の個性とがフィットしてどうなっていくんだろう」と会話しながら、残りのホルン人生を楽しめると思います。
 まあ、お見合いして僕のところにお嫁にきたようなものですね。だから性格がちょっとくらい合わないのは当然で、そのうち僕が合わせていくとか、その結果向こうも合わせてくれるようになるとか、そうなっていくのではないでしょうか。


─吹いてみて良いのはどんなところですか。

 音が明るくて、抜けが良いということろですね。自分でもう少しこうしたいという部分もありますが、逆に言うとそういう余地が残されているところが面白い。正直言って、僕は楽器に100%を求めていません。まず楽器の一番良い音をするツボを探してあげて、あとはこちらが右手で音程を調整すればいいわけですからね。


─うかがうほどに、個性の強さを感じますが。

 人間でも、今はあまりとんでもない人がいませんよね。悪いこともしないけれど、凄いこともしない。楽器もそうで、品質が上がってバラツキが少なくなったけれど、昔あったように「音程はひどいけれどびっくりするほど良い音がする」というものにあまり出会わなくなった。そういう意味でも、この楽器は異端児と言えるかもしれません。
 アレキサンダー103の100周年に世界でたった25本の個性派が生まれたわけですから、どうやってそのキャラクターと遊ぶかが、楽しみなところですね。


島方晴康

─オーケストラ以外での最近のトピックとしては?

 今年も、7月3日〜4日に、札幌で“ボスキャンプ”を行ないます。これは故伊藤泰世さんが始めたキャンプです。実は、僕は彼の弟子でもなんでもないのですが(笑)、学生時代から彼の家に入り浸って酒を飲んだり遊んだり、可愛がっていただきました。
 札幌では3回目になるのですが、第1回をやってすごく楽しくて、2回目をやったら参加者同士が連携するようになって、僕らのまいた種が、思った以上に広がって、そこで花を咲かせているんです。北海道は広いので、なかなか普段交流しにくいのですが、各地にあるアマチュアのホルンクラブがお互いに協力しあうようになったり、ある教え子が「こういう楽しいことを中学生にも知って欲しい」と、30〜40人集めてアンサンブルを開いたりということもありました。
 だから、このキャンプがそういう人と人とをつなげる場、花を咲かせるための種まきの場になればいいなと思っています。


─現在、大学でも教えてらっしゃるということですが、生徒さんにいつも言っていることはどんなことでしょう。

 「ホルンと真剣に向き合うことで学べることがたくさんある」ということです。下手な人でも、本当に向き合っている人は一発音を聴けばわかりますので、たくさんほめます。でも、そういう人たちは必ず伸びますからね。皆がホルン吹きになれるわけではありませんが、ホルンと真剣に向き合って格闘することで、必ず今後の人生に生きる何かが見いだせると思っています。


アレキサンダー社のマイスターから、100周年記念復刻モデルを直接手渡される島方さん
アレキサンダー社のマイスターから、100周年記念復刻モデルを直接手渡される島方さん




Boss Camp in Sapporo
 
日 程 7月3日(土)〜7月4日(日)
場 所 産業技術教育訓練センター〔札幌市中央区円山西町6丁目4番51号〕
講 師 阿部雅人/西條貴人/島方晴康/丸山勉 他
H P http://www.geocities.jp/bosscamp_sapporo/
定員に達したためお申込受付が終了となっておりますので ご了承ください。
 


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