アレキサンダーファン
2011年07月掲載
第50回 アレキファン的「ホルンの“ホ”」
阿部雅人氏による「”ホルン・ホルン・ほるん”三春アンサンブル支援会 第25回コンサート福島が生んだ日本を代表するホルン奏者たち」演奏会開催についての所感

 前回の「ホルンの”ホ”」では東谷慶太さんによるPOP CORNE PROJECT音楽キャラバン隊・福島公演シリーズに関するレポートを東谷さんご本人に寄稿いただきました。東日本大震災からの数々の復興支援活動の中で東谷さんと同じように『音楽家として出来ること』に精力的に取り組んでいるのが、日本を代表するオーケストラ奏者としての呼び声高い阿部雅人さん。ご自身が福島県出身の阿部さんはご家族が今も福島県で生活をされています。今回はその阿部雅人さんが同じく福島県出身のホルン奏者達と福島県内で行った演奏会やクリニックに関する所感を寄稿してくださいました。『音楽家として出来ること』、阿部雅人さんが今想っていることを少しでも多くの皆様に知っていただけたらと思います。






 2011. 3. 11 私は沖縄にいた。
弟子たちと共に毎年行っている合宿の最終行事として、那覇市内で中高生向けのクリニックをするのだが、その演奏会終了後に未曾有の震災が起きたことを知った。しかも私の故郷に近い。私も中学生の時に宮城県沖地震で震度5以上を経験した。しかしクリニックから帰る際にバスの中で目にした映像は自分の想像を遥かに超えるショッキングなものだった。


 2年前の5月、私は福島市と東京でリサイタルをする機会に恵まれた。そのリサイタルを聴いて下さった方の1人がぜひもう一度やってほしいということで、福島県の郡山に近い三春町の「まほらホール」というところに掛け合って下さり6月に演奏会をすることになっていたのだ。三春町は滝桜や三春駒などで有名な場所で、非常に美しくまた文化意識も高い場所である。そのような場所にあるホールがまたいい。昨今の箱もの行政とは一線を画したちょうど町の規模とマッチしているホールなのである。


 震災の映像を見たときには思わなかったが、その直後に明らかになった福島第一原発の事故が重くのしかかる。三春町はその原発から40キロほどしか離れていないからである。また震災後から報道される被災地の映像は私の心を重くした。被災地は本当に地獄だったと思うが、直後に東京で開催されるはずだった演奏会もそのすべてがキャンセルになり、また実家の両親の安否も確認できない時間が一週間ほどあり東京でも悶々とした時間を過ごすことになった。その間、なんとか実家へ帰ろうと試みたのだがガソリンも食料も水も手に入らないという状況で、手も足も出ない。何とも震災時のもろさを感じずにはいられなかった。


 前置きが長くなってしまったが、私は以前から弟子でもある福島県出身のホルン奏者、伊東輝道(太田アカデミー)、松坂隼(読響)と共に演奏会をやりたいという思いがあった。今回は三春アンサンブル支援会(会員が年会費を払いそのお金で安価に本物の演奏を聴くという素晴らしい組織)という団体にそのような機会をいただいたので、多少経済的に無理があったのだが南相馬出身の大槻香奈枝さん(ホルン)とピアニストの川瀬由紀子さんに加わっていただきカルテット+ピアノという編成で演奏会をさせていただくことになっていた。


 しかしこの原発事故である。
この事故はいつ終息するのか見当もつかない。終息するどころか演奏会のある6月はもっと事態が悪化しているかもしれないなど、様々な事を考えた。折しも会場のまほらホールは避難所にもなっていた。しかし何としてもこの演奏会は開催したい。もし会場が使用できなくても避難所でボランティアでも演奏したいという気持ちは日に日に強くなっていた。幸いにも会場は直前になり使用できることになったのだが、演奏会を開催するだけでは私の気持ちの整理がつかなかったので、リハーサルを一日削り東京でチャリティーコンサートをして義援金を福島県へ寄付しようということになった。


 6月10日に(株)ダクの地下のスペースドゥをお借りすることができたので早速チラシを突貫で作り演奏会の準備をした。チャリティー演奏会までの期間が短かったのでお客様が来ていただけるか心配だったが何とか満員にすることが出来一安心。ありがたいことに20万円を超える義援金も集まった。また演奏会終了後の懇親会も多数の方々に参加していただき、本当に感謝してもしきれない。


 もっと余裕をもって演奏会に臨みたかったのだが、チャリティーコンサートの影響で11日の昼に郡山入りとなってしまった。実は三春演奏会の前日(11日)の昼からは郡山で中高生を中心としたクリニックを開催する予定であったが、こちらも入場料を取って開催することは困難との判断で急遽無料。(株)ノア楽器の五十嵐社長のご好意もあり無料で会場を貸していただいた。そのおかげもあり当日は40人もの生徒が集まり熱気あふれるクリニックとなった。郡山の子供たちは本当に真面目で純粋。この中から我々の後を追う演奏家が出るかもしれない。


郡山で中高生を中心としたクリニック
 
郡山で中高生を中心としたクリニック

 夜は今回のコンサートでお世話になった方々と懇親会をすることになっていたのだが、その席上で義援金をどこに寄付をすべきか地元の方の話を聞き我々で考えた結果、福島県ではなく原発事故で避難者を大量に受け入れた三春町に寄付することが決定した。今回のように大きな震災は多くの義援金も集まるが、それがどのように使われていくのかを見守るのは大事なことであると思う。


 以上のようなスケジュールであったので、本番(12日)は多少疲れがあったが、何とかここまでこぎつけられただけで感慨無量であった。実は本番前日に知らされたのだが、ホールのエアコンが故障していて当日は全く冷えないとのこと。これは大変なことになったぞと思ったがいかんともし難い。もう突入するしかあるまい。後で聞いてわかったのだが、まほらホールは震災以降で初めての演奏会だったそうだ。エアコンの効きを確認する余裕もなかったのであろう。ホール側も氷を持ってきて必死に対応してくれた。


 さて本番はお客様もほぼ満員。
空調が効かなかったこともあり、おかげで本当に!熱気のある演奏会だった。たまたまではあるが福島県出身のホルン奏者が4人集まったということと、4人とも親族に被災者がいるという状況で、何か福島県のためにしようという気持ちがそうさせたのか大変盛り上がった演奏会だった。


演奏会写真
 
演奏会写真

演奏会写真
 
義援金贈呈

 音楽家というものはとかく自分の事だけを考えがちであるが、そのような自己中心的な生き物がこの震災で得たものは・・「他人のために何かをする喜び」ということであるような気がする。一握りの音楽家を除き、一般的な音楽家は社会的にも経済的にもあまり恵まれた環境にはいないから、どうしても他人の事など考えてなどいられない、余裕がないというのが本音であろう。


 私個人に翻り、音楽の押しつけなどはなからする気はなかったし、するべきではないと思っていた。だからこそ今までは依頼されなければ演奏をしてこなかったのであるが、震災を経て自分から何かをしなければいけないのだという気持ちに初めてなった気がする。
依頼されなければ演奏しないという、言わば上から目線とも捉えられかねない(そのように我々は決して思っていないが、そうしないとギャラをいただけない、生活が成り立たないという現実がそこにある)ことではなく、もっと気軽に一緒に楽しむ、というようなことが日常のように出来る社会になればよいのであろうが、残念ながら音楽家を取り巻く環境は甚だ厳しい。


 それでも我々は演奏する。しなければならない。人の心に働きかけるものは必要なのだ。
どんなに経済的に厳しかろうと、音楽を楽しみとする人がいて、そのために演奏をすることは喜びなのだから。


3.11震災当日、我が新日本フィルハーモニー交響楽団は僅か105名の聴衆のために戦友ハーディングと共にマーラー交響曲第5番を演奏した。
その行動は様々な共感、批判を浴びたが、私は正しかったと思っている。



新日本フィルハーモニー交響楽団ホルン奏者  阿部雅人(福島県伊達郡出身)


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