アレキサンダーファン
2005年08月掲載
対談インタビュー プレーヤーズ

国内外のホルンプレーヤーにスポットを当て、インタビューや対談を掲載するコーナー。
ホルンについてはもちろん、趣味や休日の過ごし方など、
普段知ることの無いプレーヤーの私生活についてもお伝えします。



 プレーヤーズ 第10回

 金子典樹インタビュー


 
 
それではまず、ホルンを始めたきっかけからお聞かせください。

 
小学生の時から音楽が大嫌いで、中学生になっても音楽嫌いは変わらず、卓球部に入ったんです(笑)。ある日クラスの友達に、ブラスバンドに入ると、祭りのパレードに参加するため学校を休める!と誘われて、ちょうど卓球も飽きかけていたし、中学2年になる前ぐらいにブラスバンドに入ったんです(笑)。


 
 
最初からホルンを?

 
実は親父がアマチュアでホルンをやっていて、家にホルンがあったので、ホルンを始めました。小学校の時に、親父の勧めでピアノやフルートを習ったんですが、3ヶ月ぐらいで、頼むから辞めさせてくれと泣いて頼んで辞めさせてもらったりして(笑)。でも、ホルンはやっていて、何故か楽しかったんですよ!


 
 
それから部活でホルンを吹き始めるのですね。

 
一応、中学校はコンクールで県代表になるぐらいの学校だったので良かったんですけど、その後進学した高校のブラスバンドが、人数も少なく、しかもあまり上手くなかったんですよ…。そこで、部活には入らず、親父の関係していたアマチュアオーケストラに、研究員という形で入ったんです。そして、親父に「アマチュアでも、ちゃんとレッスンを受けた方がいいんじゃないか」と言われて、ドイツから戻られて間もなかった、名古屋フィルの近藤敬さんに付いたんです。


 
 
そこで音大へ進学することを考えた。

 
最初から音大へ行こうとは思っていなかったんです。特別意識したわけじゃないんですけど、やっているうちになんとなく音大に行きたいと思い始めました。と言うより、他の事に比べて、ホルンは楽しかったので、ホルンをこのままやりたい!そう思ったんです。


 
 
そして国立音大を受験。

 
近藤先生が国立出身だったので。そしてまた、親父が千葉馨先生の弟子だったんですよ(笑)。そんなこともあり、国立音大を受験したんです。


 
 
見事に合格された!

 
いやぁほんっとに僕は下手だったんですよ。受験前に講習会で千葉先生のレッスンを受けたんですけど、「悪いことは言わないから、やめたほうがいいよ」と言っていたらしいですからね(笑)。それでも、近藤先生が、「彼はやりたいみたいですから」と言ってくれたんですよ。


 
 
それでも合格されたということは、素晴らしいです!念願の音大学生生活がスタートされたんですね。

 
大学時代は、語ることは何も無いくらいです。本当に下手で、仕事も全くもらえなかったんですよ!そんな訳で、前々から興味のあったドイツ留学を考え出し、近藤先生に相談したところ、バンベルク交響楽団の水野信行さんを紹介してもらったんです。それで、水野さんとお話したところミヒャエル・ヘルツェルに付くことになったんです。ドイツでは先生や学校を変わることは全然問題ないことだから、もし合わなかったら、また先生を探せばいいしって。


 
 
それはいつ頃に決まったんですか?

 
えーっと大学を卒業して、4月ぐらいに手紙とテープを送って、決まったのは6月ぐらいでした。だからドイツ語も全然やってなくて(笑)。なので、周りの手を借りて、手紙をドイツ語に訳してもらって送って。そうしたら、とりあえず演奏したテープを送ってくれとの返事が着て、録音して送ったのが、もう卒業した後5月ぐらいでした…。向こうの試験は夏と冬の2回なんですが、これだけ準備が遅かったので夏は諦めていたんです。が、どうやら僕の演奏を聴いて気に入ってもらえたらしく、大丈夫だからとにかく来いとヘルツェルから連絡があって、初めての海外にもかかわらず、ちょうどザルツブルクで講習会をしていたヘルツェルの所に行ったんです! そして彼が教授をしていたデトモルト音大に入ることになりました。


 
 
準備が遅かった上に初海外。言葉の壁があったのでは。

 
そうなんです。急遽決まったものですから、1ヶ月くらいはドイツ語を習いにいったのですが、もちろんそれだけではどうにもならず…。でも、デトモルト音大は日本人がわりと多かったので、レッスンと買い物以外は、ほとんどドイツ語を使わなくても大丈夫でした。それに、ヘルツェルに、「どうせ日本人はドイツ語を喋れないから」って思われていたから、なんとかやっていけましたね(笑)。良くないことでしたけど…。


 
 
でも結果的に現在はドイツ語が身についていますからね。デトモルトには何年いらしたんですか?

  2年居ました。でも、ヘルツェルは天才肌だったので、どう吹けば上手くなるのかとか、エチュードとか教えるのは、上手くなかったんですよ。音楽的なことは、物凄く良かったんですけど!僕の場合元々吹けなかったので、良い所は伸びたと思うんですけど、悪い所はそのままになってしまって…。そんなこともあって、水野さんが最初言っていた通り、色々な先生の話を聞きだして、ノイネッカーが教えるのが凄く上手いと聞いたんので、ノイネッカーの所に行こうと決めたんです。それで彼女が教えていたフランクフルトの音大を受験しようと思い、コンタクトを取ってレッスンを受けました。その時は、「良いのだけど、自分としては、もっと若くて可能性のある人材がいればそちらを取りたい。」と言われたのですが、受かることが出来て入学しました。


 
 
ノイネッカー女史に付いて、どうでしたか?

 
ペンツェル門下に伝わる練習パッセージ
ペンツェル門下に伝わる練習パッセージ
彼女は、ホルンを始めたのが18歳か19歳と遅く、しかも最初は教育音楽が専攻で、ホルンは副科だったんです!その後メキメキと上達し、たしか20歳の時にペンツェルのレッスンを受けだして、それから当時ペンツェルが教えていたケルンの音大に入学し、そしてバンベルクのオケを経てフランクフルト放送響の首席になった。
当然才能があったんでしょうけど、始めたのが遅く苦労したぶん、自分は何故人より吹けるようになったのか?と考え、説明出来る人だったんです。なので、レッスンでも「これが出来ないのは、ここがこうだから。その為には、この練習パターンを、こう考えてこう吹くと良くなる」といった風に非常に的確で、しかもお手本を吹いてくれるんですが、それがまた完璧なんですよ!ペンツェルがレッスンで使う、殴り書きの練習パッセージ集みたいなのがあるんですが、それをペンツェルの弟子達も使っていて、もちろんノイネッカーのレッスンでも使っていたんです。それを、“何のためにこれをやって”“何を考えながらどういうことをやる為にこれをやって”“その為にはどこを使って”というレッスンでした。沢山の優秀な弟子を輩出していたペンツェルなので、この譜面は出回っていて、練習パターンを聴けばペンツェルの弟子かそうでないかは、すぐ分かりますね。
後で考えると、ヘルツェルからノイネッカーという順序は普通逆だったんですよね。音楽的なレッスンから技術的なレッスンですから。でも、逆だったら今の僕は無いですよね。


 
 
充実した勉強が出来たんですね。

 
3年間居て卒業したんですけど、卒業間際に受けたプラハの春のコンクールでディプロマ賞を取ることが出来て、卒業試験の成績も良かったので、翌年のジュネーブのコンクールを受けたいと思い、さらに1年残って勉強しました。しかも、同時期にドイツ・フィルハーモニア・フンガリカというオケに受かっていたので、オケと学校のあるフランクフルトと、行ったり来たりでした。


 
 
ちなみにジュネーブでの成績は。

  セミファイナル落ちでした…。その時の優勝がラデク・バボラクで17歳でしたね。オーディションは沢山受けたんですけど、コンクールはそのぐらいかな。ノイネッカーの所に行って2年目に、管打を受けに帰ったんですけど成績は2位で、1位は丸山さんでした。


 
 
いずれ日本に帰ってと考えていたんですか?

 
いやぁ、何も考えてなかったですね。結局10年間ドイツにいたんですけど、とにかく向こうでやれることはやろうと思っていたんです。でもノイネッカーに「いざ帰りたくなって、40歳や50歳になってから帰っても遅いんだ。ずば抜けて世界的な奏者ならまだしも、そうじゃないんだから考えなさいよ」と、よく言われたていました。職業家として送り出すことを重視していた人なので、そういうことを心配してくれましたね。そんなこともあり、新日本フィルのオーディションがあって、受かったので帰ることにしました。向こうのオケに5年間在籍していて、他のオケに移ることもなかったですし、ベストなタイミングだったと思います。
留学して帰ってくる人は沢山いますが、たいていそういう人は、元々吹ける人だと思うんです。だから僕は、無茶苦茶下手だったけど、留学してなんとかなって帰ってきた、珍しいパターンだと思いますよ(笑)。ノイネッカーに気に入られて良かったです。一緒にフランクフルトに入った門下生も皆、ドイツの主要オケに入りましたから、教えるのが本当に上手かったんですね。


 
 
そして現在に至るわけですね。アレキはいつから使っているんですか?

 
高校生になって、アマチュアオケに入った時からずっと103を使っています。他の楽器も試したんですけど、ドイツでもほとんどの人が103を使っていたので、合わせやすかったですし、自分には103が合っていたので、ずっと103です。一人で吹いていて、吹きやすい楽器はあるんですが、オケの中で吹いた時に、ピアノでの響きやトゥッティで鳴っている時など、自分の思っている響きの付け具合がいいんですよね。それから、ピアノとフォルテの音量の違いではなく、音色の差を付けやすい所が良いですね。


 
 
ずっと103暦が長いですね!

 
試しに買って吹いたけど、合わなかったので売ってしまった楽器も何台かありますが、ちゃんと使った楽器だけで、7台換えています!でも、高校で買ってからノイネッカーの所に行くまでは、同じ楽器を使っていたんですよ。それまでは、買い換えるという感覚が無かったんですけど、向こうでは頻繁に換えるのが当たり前だったんです。だからその癖が(笑)。


 
 
凄いですね…。では、プレーヤーズ恒例の趣味についてお聞かせください。

 
趣味という趣味はないですね…。


 
 
体を動かすこととかは。

 
元々スポーツも嫌いだったので…。


 
 
たしか音楽も嫌いだったですよね。じゃあ勉強が好きだった!

 
勉強も嫌いでした!やる気の無い子供でしたね(笑)。


 
 
じゃあホルンに出会って良かったですね(笑)。では、最後に会員に向けて一言お願いいたします。

 
アレキは吹きにくい楽器では無いけど、簡単に自分の音を出せる楽器でも無いと思うんです。楽器が勝手に鳴ってくれるわけでも無く、良くも悪くも自分のコンディションが全部出るし…。でも、そんな所がアレキって楽しいんだと思います。だから、その辺を楽しんでいただきたいと思います。





PROFILE

金子典樹(かねこのりき)●金子典樹(かねこのりき)

三重県津市出身。国立音楽大学卒業後、ドイツ・デトモルト音楽大学を経て、フランクフルト音楽大学卒業。ホルンをマリー=ルイゼ・ノイネッカー、ミヒャエル・ヘルツェル、ペーター・ダム、千葉馨、守山光三、近藤敬の各氏に師事。91年第8回日本管打楽器コンクール第2位、92年第44回プラハの春国際音楽コンクールディプロマ賞。92年ドイツ・フィルハーモニアフンガリカに入団。97年より新日本フィルハーモニー交響楽団団員。アレキサンダーホルンアンサンブルジャパンメンバー。2002年にはフィンランド・ラハティで行われた国際ホルンシンポジウムにソリストとして招待され、ソロコンサートを行なった。



インタビューを終えて

音楽嫌いだった少年がホルンと出会い、決して平坦では無かった道のりを経て、現在の活躍ぶり。それには、自分を信じていたこと、諦めなかったこと、そしてなによりホルンが好きで楽しんでいたからこそ、成しえたのだと思います。僕もトランペットからのコンバートという、一般的なパターンでホルンを始めたわけではなく、最初からホルンを選んだことを思い出しました。ホルンを始めたあの頃の気持ちで、もう1度吹いてみよう!と思いました。

みやっち@編集人

 
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